ルネ・ラリックの生涯から作品の特徴とは?!どこよりも分かりやすく徹底網羅!!

アールデコのガラス工芸を引っ張っていった存在として有名なルネ・ラリック。

この記事では

      • ルネ・ラリックの生涯
      • ルネ・ラリックの作品
      • ルネ・ラリックを直接見ることができる美術館

について徹底解説していきます。

ルネ・ラリックの生涯とは?!

アールヌーボー時代にはジュエリーを、アールデコの時代には多くのガラス作品を作り上げ注目を浴びたラリック。
いつ頃から注目をあび、どの様なきっかけでガラス工芸に分野を変更したのか。ここでは彼の生涯について解説していきます。

19世紀末~20世紀にかけて活躍したルネ・ラリック

ルネ・ラリックは19世紀の終盤から、20世紀に渡って多くの作品を手掛けた工芸家です。
彼は、この時代に生まれた新しい芸術であるアールヌーボー、そしてその後のアールデコの発展に大きく貢献。
アールヌーボーの全盛期と呼ばれていた、19世紀の終盤から20世紀初頭に、ラリックは多くの宝飾品を作り脚光を浴びました。
これらの芸術品は今までの宝飾とはまた違った斬新な物として、人々に衝撃を与えたとされています。

その後はフランソワ・コティの依頼をきっかけに、ガラス工芸家としての仕事を主に務めるようになり、後ににかつて作っていた宝飾には一切手を付けなくなり、ガラス工芸にのみ力を注ぐようになりました。

ラリックの第一の成功【宝飾デザイナー】

ラリックが脚光を浴びるようになったのは、宝飾デザイナーとして多大な評価を受けたのが始まりです。
ラリックはアイというフランスのシャンパーニュ地方にある小さな村の生まれです。
幼い時から自身で描いた風景画を絵ハガキにして隣町で稼いでいたとい過去があります。

彼は16歳の頃に父親を亡くし、その後母親の助言もあり宝飾デザイナーに弟子入りしました。
その後、宝飾についての知識を深め技術を高めていきました。
そしてついに、1900年のパリ万博でラリックのジュエリー(宝飾)が注目されるようになります。
ここから、徐々に評判を高めていき20世紀初頭まで有名な宝飾デザイナーとして名を馳せました。

ラリックとパリ万国博覧会

ラリックとパリの関係は、切っても切り離せません。ラリックが15歳の頃、即ち彼の父親が無くなる1年前にパリでオペラ座が完成しました。父の死後、母の言葉で宝飾デザイナーを目指し始めた頃から、ラリックはこのオペラ座付近を拠点とするように。そして、ラリックはパリの物新しい芸術や文化に影響されていきます。故郷のアイ、そしてパリの影響もあり開花した才能で、パリ万博博覧会に作品を展示します。その後、1900年のパリ万博で大評判になります。「蝶の女」「トンボの精」などといった作品が主に注目を浴びました。石油王であるカルースト・グルベンキアンは万博にて展示されていたこれらラリックの作品をコレクション。また後に、カルーストはラリックのパトロンになりました。

ラリックと香水瓶

パリ万博をきっかけに宝飾デザイナーとして有名になったラリックでしたが、20世紀初頭より後はガラス工芸に力を入れるように。ラリック店の近所で、同じく店を構えていたフランソワ・コティに共に仕事をしようと提案されます。コティの仕事は香水商で、ラリックはその香水瓶のラベルに張り付けるラベルのデザインを任されました。その仕事の後はラリック側からコティに売り込みをするように。その結果、香水瓶を作らせてもらう事になりました。この時に制作した作品として有名なものは香水テスターセットの瓶や、香水瓶「シクラメン」などです。

ガラス職人のルネ・ラリック

ラリックはコティとの仕事で香水瓶を作り経験を積んだ後、それを活かして自身の作品としてガラス作品を制作するようになりました。ガラス職人としての道を歩み始めたラリックでしたが1912年以降、今まで作ってきたジュエリー(宝飾)には一切手を付けなくなってしまいます。今までのキャリアを捨て、ガラス職人への一本道を歩き始めたわけです。コティ社ではなく自身の作品としての香水瓶やガラスの花器などを作り、ガラス職人として活躍。後に、シャンデリアや壁のガラス装飾などのインテリア系のガラス工芸も制作するようになりました。これらの作品は装飾美術を押し出した芸術である、アールデコの時代に大きな歴史を刻みました。彼の始まりは宝飾でしたが、最終的にはガラス職人として名をはせるようになったのです

ルネ・ラリックの作品と特徴

ラリックは今までどんな作品に影響を受けて、どういった点が好まれていたのでしょうか。ここではラリックが作って来たガラス作品やジュエリーの特徴やテーマを紹介します。

基本はクリアガラス

ラリックのガラス作品のほとんどはクリアガラスを基本としたものです。フランソワ・コティとの仕事で香水瓶を作った際は、瓶の中に入れられる香水のテーマにそって形をデザインしました。この試みはガラス作品という分野において新しく斬新なもので、多くのガラス工芸に影響を与えたとされます。後に技術革新などによって工業製品が発達していきます。時代と共に作品のスピード化が進む中、ラリックはガラス作品だけの展示会を開きます。そこに展示されたガラス作品はどれも繊細なものでした。オパルセント・ガラスというテクニックを使った作品をはじめ、ラリックはガラスだけを作った新しい作品をいくつもうみだしていったのでした。

彫刻のような作品が特徴

ラリックの作品の特徴として、繊細で彫刻的という点があります。香水瓶や花瓶などにも複雑な模様が施されており、こういった細かい造形が彫刻のようだと言われる所以です。また、ガラスを使った彫刻そのものも多くあります。後にラリックは多くのテクニックをあみだし、あらゆる方向性でのガラス作品を作っていきます。ガラスをつかったカーマスコットやシャンデリアなどの照明器具などは、ラリックのガラス作品として作ることが出来るものがいかに多種多様か分かるほどの美しさを誇っています。これらの彫刻的デザインは、宝飾のデザインをしていた時に培われたものです。ジュエリー制作のキャリアを捨て、ガラス職人となったラリックでしたが、彼が宝飾デザイナーの時に培って来た技術は、後になっても役に立っているということですね。

ラリックの作品は自然と女性の美が追及されている

ラリックは作品のテーマとして、女性の美と自然の美を掲げていました。透明な光を通すガラスの美しさと共に、女性と自然の美も作品の魅力の一つです。ジュエリーを作っていた時の経験を活かしたアールヌーボー的作品であっても、その後のアールデコの作品であってもこのテーマは一貫されています。また、ラリックは日本の伝統工芸にも影響を受けており、これの構図などを参考にした作品も見られます。このラリックが取り入れたジャポニズムと呼ばれる日本的な部分は、彼の作品の自然美を際立たせているのではないでしょうか。

技術を駆使し量産品を意識

ラリックの作品は繊細で美しくありながらも、量産を意識したものになっています。本来量産品はクォリティの低下が伴うものであると考えられますが、ラリックのデザインしたガラス作品は量産においても質が落ちるという事がほとんどなく革新的なものでした。こういったラリックの技術によって作られた作品は工芸的な面と商業的な面、どちらにおいても高水準という驚くべきものです。ラリックの作品は両立するのが難しいこの二つの面を合致させた類まれなるものとして多大な評価を受けていました。また、バリエーションも多く、シャンデリアなどの照明や花瓶まで幅広いです。このような多種多様であり繊細で質が高いかつ量産可能という多くの人間の要望を満たすラリックの技術は重宝されていました。

ルネ・ラリックの作品に出会える「日本の美術館」3つ!!

ルネ・ラリックのガラス作品やジュエリーが所蔵されている3つの美術館を紹介します。

箱根ラリック美術館

日本で最もラリックの作品が多く展示されている神奈川県の箱根ラリック美術館。その名前から分かる通りルネ・ラリックを主軸とています。美術館周辺はラリックの故郷である自然豊かな村アイのように自然が豊かです。宝飾デザイナー時代に作られたジュエリーから多くのガラス工芸まで、多くのラリック作品を楽しむ事が出来ます。

飛騨鉱山美術館

岐阜県高山市の飛騨鉱山美術館には、ルネが生涯に貢献したアールヌーボーとアールデコのガラス作品が数多く所蔵されています。装飾芸術を主としており、アールデコの時代に彼が作った、繊細なガラス彫刻や花瓶などを楽しむことが出来ます。現代のガラス作品も展示されており、ラリックは勿論ガラス工芸そのものに興味がある方は必ず楽しめる内容になっています。

東京都庭園美術館

東京都港区にある東京都庭園美術館。この美術館は国の重要文化財とされています。建物の正面玄関にあるガラス扉や室内のシャンデリアはラリックが過去に作ったものです。建物全体もアールデコの様式を意識しており、ラリックの世界を堪能する為には持ってこいの美術館となっています。

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